インターネットで葬儀について調べるときは、葬儀について身近に感じる何かがあったのだと思います。「葬儀」と検索をかけると香典や挨拶お布施についてが候補にでてきます。「家族葬」と検索をすれば参列範囲や費用や香典とでてきます。
最初のコラムになるので、家族葬について記事にしてみたいと思います。あれ?「はじめに」に書いた事と違うなとお気づきでしょう。やはり王道は押さえておきたいという筆者の心変わりです。では、テーマである家族葬と一般葬はなぜ生まれたのかを書いていきたいと思います。

葬儀の変化 「家族葬」のあとから登場した「一般葬」
現在当たり前のように使われている「家族葬」というのはいつ頃から使われているのか、インターネットでは約20年前から使われ始め、関東の葬儀社が造った造語であるという説がありますが、決まった定説はないそうです。
「家族葬」とはなんなのか。新しい単語を造ったということはそれ以前の葬儀とは一線を画すということです。それは何かを考える時は、家族葬という言葉が造られた後に使われ始めた単語が何かを考えると良いでしょう。
つまりそれは、「一般葬」です。
一般葬とは、親族・親戚・友人・会社関係・町内など、故人や故人の家族とかかわりを持っている不特定多数の関係者へ訃報を広めます。そしてその人たちが実際に参列に来るのか来ないのかは別として、もてなす接待の物品を準備し、人員を手配します。
一般葬を行うためにはそれに対応できる広さがある会場が必要ですし、広く声をかけて足を運んでもらうという広い交友関係が必要です。
家族葬登場まえの葬儀はごあいさつの場だった
ではなぜ訃報を広める必要があるのか。葬儀というものは、故人とその関係者とのお別れの場でありながらも、残っている家族が「今後とも変わらぬお付き合いをお願いします」という顔つなぎであり、挨拶の場であり、今後も関係を保っていきますという宣言の場でもあります。その宣言を受けて、関係者たちは安心し次の世代との関係を築いていくことになります。特に地方では地域との関係の構築がお互いの生活に直結しますのでとても重要なことです。それが変わり始めたときにトレンドとなったのが「家族葬」という造語というわけです。
家族葬の登場は高度経済成長期の影響?!
いまから約20年前に家族葬という造語がトレンドになったということは、2000年~2010年頃の平均寿命である男性77歳、女性85歳が故人となる時代です。このころに亡くなった関東圏の人たちの故人や家族の環境に沿って出来たのが家族葬といえます。
ではその背景には何があったのか。1950年代から始まった高度経済成長期では就職のため大都市圏に多くの若者や労働者が地方から移住を行い、そこで生活基盤を築いていきました。20代で移住したとしたら、50年後の2000年頃に平均寿命に近づいていきます。
都会での生活を50年。そこでは地方ほどの濃密な関係を築くことは難しかったのでしょう。一家の大黒柱が亡くなっても訃報を広める相手が少ないわけです。だんだんと葬儀は小規模化していきました。そこで誕生したのが家族葬という単語です。そして、家族葬が主流になってくるとそれと区別するために一般葬という単語が造られ広がっていきました。
人間関係の変化が葬儀の目的を変えた
家族葬という言葉が造られたということは、葬儀の形式が変化してきただけではなく、社会とのつながり方そのものの変化を表しているといえます。人と人との関係が地域全体から家族単位へと縮小していく中で、葬儀は「誰のために行うのか」「何のために行うのか」という問題が現れてきたのだと思います。
家族葬と一般葬。その違いを知ることは、現代社会における「別れのかたち」を考えるきっかけになりますね。
参考資料
参考図書:島田裕巳氏(著)『葬式消滅 お墓も戒名もいらない』
出版社:ジー・ビー; 四六版 (2022/6/27)
参考資料:「02 高度成長期と住宅の変容 -東京都都市整備局」
pdf_keikaku_chousa_singikai_pdf_tokyotoshizukuri_3_02

